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松山地方裁判所 平成6年(ワ)228号 判決 1998年4月15日

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

木下常雄

被告

愛媛県

右代表者知事

伊賀貞雪

右訴訟代理人弁護士

米田功

右訴訟復代理人弁護士

市川武志

右指定代理人

河野勉

外四名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金九八七九万五二九七円及び内金八九九一万五二九七円に対する平成元年五月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告(昭和四六年八月一六日生れ)は、平成元年五月二九日当時、愛媛県立松山北高等学校中島分校(以下、「中島分校」という。)の三年生であり、乙川二郎(以下、「乙川教諭」という。)は、原告の英語担任教師であり、丙田三郎(以下、「丙田教諭」という。)は、原告の学級担任教師であった。

2  本件暴行事件に至る経過

原告は、平成元年五月二九日、中島分校において、腹痛を我慢して一時限目の乙川教諭の英語の授業を受けていたが、同教諭から、板書事項をノートに筆写していないなどと咎められ、授業終了後に職員室に来るよう指示された。しかし、原告は、腹痛が激しくなったので二時限目の授業を休んで便所にいて、授業終了直前ころに教室に向かって廊下を歩いていたところ、乙川教諭から、呼び止められ、職員室に行かなかったことを叱責された上、無理矢理手を引っ張られて応接室に連れ込まれた。乙川教諭は、応接室で、原告に対し、教師の指示に反抗したなどと、三時限目の授業の終了一〇分前ころまで説教を続け、同授業の終了時間後に再度応接室に来るよう命じた。そこで、原告が、三時限目の授業の終了後、職員室に行くと、乙川教諭は、原告を待ち構えており、丙田教諭を呼び出して、同教諭と共に、原告を応接室に連れ込んだ。応接室に入るや、乙川教諭は、戸や窓を全て閉めた上で、原告に対し、再び、前同様の説教を続け、その状態が一時間以上も続いた。その際、原告ら三名は、応接室の椅子に座った状態で、乙川教諭と丙田教諭が原告と向かい合う位置に居た。

3  本件暴行事件の発生

同日午後〇時四〇分ころ、乙川教諭は、右応接室において、突然席を立ち、丙田教諭に「自分はカッとなると何をするか分からない。もし暴力を振るうようなことになれば止めて欲しい。」と声高に伝えて、原告への暴行を予告するかのような威嚇的態度を示し、これに対し、丙田教諭は「危なくなったら止めます。」と返答した。その直後、乙川教諭は、いきなり原告に飛び掛かり、「お前、教師をなめとるのか。」と叫ぶや、座っていた原告の後頭部を手拳で数回連打し、背後から羽交い締めにして右腕で原告の首を絞め、さらにその姿勢のまま胸を反らせて、原告の身体を宙吊りにした上、急に腕を解いて原告の身体を応接室の椅子の上に突き落とすなどの暴行を加えた。この時、原告は頸部に激しい衝撃を感じ、乙川教諭に殺されるかも知れないとの恐怖感を覚えたが、体力差等から何ら抵抗することができなかった。なお、丙田教諭は、この間、乙川教諭を制止したり原告を保護することを全くせず、ただ傍観する態度をとり続けていた。

4  責任原因

本件暴行事件について、乙川教諭は、原告に対し、故意に基づき直接暴行を加えたものであり、丙田教諭は、教師としての職務上、乙川教諭の暴行を制止し原告を保護すべき法的義務を負いながらこれを怠った過失があるというべきである。そして、右両名は、被告愛媛県に雇用された公務員であり、中島分校における授業活動及びこれに関連する生徒指導は公権力の行使に当たるから、その職務を行うについて発生した本件暴行事件(不法行為)について、被告愛媛県は、原告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、損害賠償をすべき義務がある。

5  損害

(一) 治療経過と症状固定

原告は、乙川教諭による前記暴行により、平成元年五月二九日当日午後から激しい頭痛や吐き気に襲われ、中島町の杉原医院に行った。そして、当日夜には、右症状はさらに激しくなり、翌五月三〇日、町立中島中央病院で受診したほか、別紙入・通院経過表に記載のとおり、平成六年一月まで、県立中央病院、玉川治療院、愛媛大学附属病院、森貞整形外科、松山日赤病院等の多数の病院や鍼灸院等で診療を受けた。しかし、頸髄損傷に伴う手足の異常感覚、弛緩性麻痺、疼痛、倦怠感、頭痛、吐き気、眩暈等の症状は全く改善されず、平成六年一月八日、道後温泉病院の上田俊一医師により、身体障害者福祉法別表に掲げる等級の三級に該当し、同日症状固定の後遺障害診断を受け、同年一月一六日付で、愛媛県から身体障害者等級三級との認定を受けた。これは、自賠責保険の後遺障害別等級表の六級に該当するものである。

(二) 損害額

本件暴行事件による原告の損害は、次のとおりである(その内訳は、別紙入・通院経過表に記載のとおり)。

(1) 治療費総額一〇一万二五二四円

① 病院・療養所関係

九六万四七七四円

② 漢方薬代 四万七七五〇円

(2) 入・通院費用九六万四三〇〇円

① 入院雑費 二三万六四〇〇円

(一二〇〇円×一九七日)

② 入・通院交通費等

五九万五九〇〇円

③ 付添費用 一三万二〇〇〇円

(四〇〇〇円×三三日)

(3) 傷害に対する慰謝料三〇〇万円

(入院一九七日、通院八三日)

(4) 後遺障害に対する慰謝料

一五〇〇万円

(5) 後遺障害に伴う逸失利益

七二四三万八四七三円

原告の後遺障害は、前記のとおり、自賠責保険の後遺障害別等級表の六級に該当するので、労働力喪失率は少なくとも六七パーセントであり、平成元年当時の男子労働者平均賃金年四五五万二三〇〇円を基礎収入として、就労可能年数四九年(一七歳から六七歳まで)の新ホフマン係数23.750を用いて、逸失利益を算定すると七二四三万八四七三円になる。

(6) 小計 九二四一万五二九七円

右(1)から(5)の合計は九二四一万五二九七円となる。

(7) 損害の填補後の残金

八九九一万五二九七円

原告は、本件暴行事件につき、乙川教諭から合計二五〇万円の損害賠償金を受領しているので、これを、(6)の損害金九二四一万五二九七円に充当すると、未払残金は八九九一万五二九七円となる。

(8) 弁護士費用 八八八万円

(9) 合計 九八七九万五二九七円

(7)の未払残金八九九一万五二九七円と(8)の弁護士費用八八八万円の合計は、九八七九万五二九七円となる。

6  よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、右損害賠償金九八七九万五二九七円及びそのうち弁護士費用を除く金八九九一万五二九七円に対する不法行為日である平成元年五月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否ないし反論

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の事実のうち、平成元年五月二九日、中島分校において、乙川教諭が原告に対し一時限目の英語の授業中に板書事項をノートに筆写していないことを咎め(但し、教育的指導の目的からである。)、授業終了後に職員室に来るよう指示したこと、廊下を歩いている原告を見つけて乙川教諭が手を取って応接室に連れていったこと(但し、二時限目と三時限目の間の休憩時間のことである。)、応接室で乙川教諭が原告を説諭し、三時限目の授業終了後に再度応接室に来るよう指示したこと、三時限目の授業終了後、原告が職員室に来て、乙川教諭は原告を応接室に入室させ、丙田教諭も同席したこと、応接室入室後、乙川教諭が戸や窓を閉め、原告を説諭したこと、その際、右三名は応接室の椅子に座った状態で、乙川教諭と丙田教諭が原告と向かい合う位置に居たことは認め、その余は否認する。

3  請求原因3の事実は否認する。

乙川教諭は、原告に対し、応接室において、一時限目の授業中のことや以前から原告の授業態度が良くないこと、学内での対人関係などについて説諭し、丙田教諭も、同様、原告に対し、学校での態度を改めるよう説諭したが、原告は、ふてくされた様子で、自分を無視して欲しいと繰り返し、両教諭に背を向ける態度を示した。そこで、乙川教諭が、原告の両腕を掴み、自分の方に振り向かせようとしたところ、原告は、「やめてや。」と言って、同教諭の手を振り払おうとした。そして、原告は、乙川教諭のネクタイを掴んで強く引っ張るなどして暴れたため、同教諭は、原告の両腕を抱えるようにして激しい動きを制止しようとした。原告は、それでも、「放せ。放さんか。」と言って、乙川教諭のネクタイを引っ張って立ち上がりながら暴れ続けたので、同教諭は、思わず「いい加減にせよ。」と言って、右手握り拳で原告の後頭部を一回叩いてしまった。この間、丙田教諭は、右状況を見ていたが、乙川教諭が原告を叩いたのは一瞬の出来事で、これを制止する間はなかった。

4  請求原因4の事実のうち、乙川教諭と丙田教諭が被告愛媛県に雇用された公務員であることは認め、その余は否認する。

5  請求原因5(一)の事実のうち、原告が、県立中央病院、森貞整形外科に入院したこと、平成六年一月八日に道後温泉病院の上田俊一医師により身体障害者福祉法別表に掲げる等級の三級に該当するとして、同日症状固定の後遺障害診断を受けたこと、愛媛県から身体障害者等級三級との認定を受けたこと(身体障害者手帳の交付日は、平成六年一月一四日である。)は認めるが、その余は不知ないし争う。

同5(二)の事実のうち、(7)の乙川教諭が原告に二五〇万円を支払ったことは認め、その余は争う。

三  被告の主張(積極否認ないし抗弁)

1  相当因果関係

平成元年五月二九日に中島分校の応接室において乙川教諭が原告を個別指導中に手拳で後頭部を一回叩いてしまったことは事実であるが、原告の訴える症状は、他覚的所見がなく、実際に存在するかどうかは非常に疑わしいというべきである。そして、仮に、原告の訴える症状が存在するとしても、心因性のものであって、乙川教諭の殴打行為とは相当因果関係がないというべきである。すなわち、

(一) 原告が受診した多くの病院の診療録や看護記録等には、医師が指示しても握れないという右手で服を取って着たりするなど、訴えと動作の食い違いが数多く記録されており、また、原告の訴える症状は、短期間のうちに日常の生活動作ができなくなったり、障害の内容が変化したりして、一貫性がなく、余りにも不自然である。

(二) 原告は、様々な症状を訴えて数多くの病院で受診しているが、他覚的所見による頸髄その他の器質的な損傷は全く認められず、愛媛大学附属病院の金澤彰医師、松山日赤病院の今井司郎医師は、いずれも、原告の訴える症状は心因的なもので、転換性ヒステリーと確定診断している。

(三) 道後温泉病院の上田俊一医師が作成した身体障害者診断書・意見書(甲二)は、原告の訴えに基づいて作成されたもので信用性がなく、県立中央病院や愛媛大学附属病院等での検査・診断の結果からして、誤りであることは明らかである。

(四) 仮に、乙川教諭の殴打行為が原告の転換性ヒステリーの発症原因になっているとしても、平成元年七月一一日ころ、愛媛大学附属病院精神科の金澤彰医師の下で継続して治療を受けていれば、遅くとも、その数か月後には治癒していた筈であって、自らその機会を放棄した後の症状に起因する原因の損害については、乙川教諭の殴打行為と相当因果関係がないというべきである。

2  損害の填補

原告の後遺障害は、自賠責保険の後遺障害別等級表の一四級10号の「局部に神経症状を残すもの」にさえ相当するものではなく、その程度は、原告が平成二年三月三一日に森貞整形外科で後遺障害診断を受けたころの症状を超えるものではない。したがって、乙川教諭が、既払の五〇万円に加えて、同年一〇月四日に成立した調停に基づき二〇〇万円を支払ったことにより、同教諭の殴打行為と相当因果関係がある原告の損害は、既に填補されているというべきである。

3  消滅時効

前述のとおり、原告の症状は、平成二年三月三一日に森貞整形外科で後遺障害診断を受けたころと変わっていない。そうすると、本件に関する損害賠償債務は、遅くとも、前述調停により合意された支払日である平成二年一〇月三一日から起算して三年を経過した時点で時効消滅しているというべきである。被告は、右消滅時効を援用する。

四  被告の主張に対する原告の認否ないし反論

1  相当因果関係について

原告の症状は、頸髄損傷によるものであり、森貞整形外科において、平成元年六月二七日に精密検査を受けた結果、頸髄不全損傷・両上下肢機能障碍と診断されている。

そして、仮に、原告の症状が心因性のものだとしても、乙川教諭は、職務上、原告の性格や特性等を知り、暴力を加えればその身体や精神に損傷を与える危険性があることを予見することが可能であったから、同教諭の暴行と原告の症状との間には相当因果関係がある。

なお付言するに、本件は、本来生徒を保護すべき立場にある教師が生徒に暴行を働いたことにより発生した損害賠償請求事件であり、不必要な治療により症状を悪化させたという事情はなく、むしろ、原告は乙川教諭らの責任回避の態度に心理的侵害を受け続けていることからすれば、心因的要素を理由に過失相殺の法理を類推適用すべきではない。

2  損害の填補について

原告が乙川教諭から調停での合意による二〇〇万円を含め合計二五〇万円の支払を受けたことは認めるが、原告の後遺障害は、前述のとおり、自賠責保険の後遺障害別等級表の六級に該当する(症状固定日は平成六年一月八日)ので、右支払は、原告の損害金の一部を賠償したにすぎない。

3  消滅時効について

原告の後遺障害が確定したのは、前述のとおり、平成六年一月八日であり、本件損害賠償請求権の消滅時効は同日から起算されるべきである。したがって、本件起訴時において消滅時効は完成していない。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  当事者について

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  本件事件の発生と原告の受診等について

前記争いがない事実に加え、証拠<略>並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  本件事件発生に至る経過

(一)  原告(昭和四六年八月一六日生)は、昭和六二年四月に中島分校に入学し、平成元年五月当時、同高校の三年生であったが、努力している一面がみられたものの、学業成績は余り良くなく、クラスの行事に非協力的で、学校生活ではやや孤立化する傾向にあった。

(二)  乙川教諭は、昭和六二年に大学を卒業し、愛媛県立長浜高校の非常勤講師をした後、昭和六三年四月に中島分校に英語教諭として赴任した。同教諭は、平成元年四月から生徒指導を担当するようになったが、当時、中島分校では、生徒の服装の乱れや無気力による不登校などの問題が生じており、早期発見、早期指導を標語に全校を挙げて生徒指導を行っていた。同教諭は、原告が二年生のときから英語の授業を担当していたが、二年生後半ころから授業態度が余り良くなく、授業時間中に一人で体育館の裏にいるのを見かけたりして孤立している印象を受けていたことから、原告に対する個別指導の必要を感じていた。

(三)  そのような中、平成元年五月二九日の一時限目の英語の授業中に、原告は、乙川教諭から指示された板書事項をノートに筆写しようとせず、注意しても無視する態度をとったことから、同教諭は、この機会に個別指導を行おうと考え、原告に対し、授業終了後に職員室に来るよう指示した。しかし、原告は右指示に従わないで職員室に来ず、二時限目終了後の休憩時間に原告を見かけた乙川教諭が、何故職員室に来なかったのかと声を掛けても、返事もしないで立ち去ろうとしたため、同教諭は、原告の手を取って、職員室横の応接室に連れて行った。応接室入室後、乙川教諭は、原告のプライバシーを配慮して、戸や窓を閉め、職員室に来なかった理由を問い質したり、日頃の学習態度や友人関係について説諭するなどしたが、原告は、終始反抗的な態度で、足を組んだままそっぽを向き、説諭を無視する態度をとり続けた。そこで、乙川教諭は、自分一人での指導に限界を感じ、担任である丙田教諭の同席を得て個別指導を行う必要があると考え、三時限目の終了前に原告を一旦授業に戻し、授業終了後に再び応接室に来るよう指示した。

2  本件事件の発生

(一)  右同日の三時限目の授業終了後、原告が職員室前に来て、乙川教諭は、丙田教諭を同行して、原告を応接室に入れた。なお、乙川教諭は、この時も応接室の戸や窓を閉めたが、個別指導をする場合に他の生徒から見られないようプライバシーを配慮してのことであり、この日だけ特別にとられた措置ではなかった。そして、乙川教諭と丙田教諭が、テーブルを挟んで、原告と向かい合う位置に座り、乙川教諭が、原告に対し、一時限目の授業態度のこと、指示に反して職員室に来なかったこと、日頃の学習態度や友人関係の持ち方などについて説諭し、丙田教諭も、原告に対し、クラスにもう少し溶け込むように指導、助言をした。しかし、原告は、足を組んだまま、ふてくされてそっぽを向く態度をとり続け、クラスの皆が無視しているのと同じように自分を無視してくれと述べて、両教諭による説諭や指導を受け入れる様子を全く示さなかった。

(二)  このような状態が続く中、同日午後〇時四〇分ころ、乙川教諭は、原告の態度を見かねて、腹立たしい感情も加わり、原告の左隣りに座り直した上、これまで話をしたけれども今後教師としてどう接したらいいのかと尋ねたが、原告は、背中を向けて、自分を無視してくれと言うばかりであった。そこで、同教諭が、両手で原告の両上腕部を掴み、無理矢理自分の方に体を向けさせようとしたところ、原告は、「やめや。」と言って、これを振り払おうと体を激しく動かし、両名が揉み合う状態になった。そのうち、原告が、乙川教諭のネクタイを掴んで引張ったため、同教諭は、原告の背後に回り中腰で両腕を抱きかかえるようにして制止しようとした。しかし、原告は、「放せ。放さんか。」と言って、なおも、同教諭のネクタイを引張り、激しく体を動かし続けたので、乙川教諭は、「ええ加減にせんか。」と言って、右手拳で原告の後頭部を一回殴打した(以下、乙川教諭の原告に対する右殴打行為を、「本件事件」という。)。この間、丙田教諭は、椅子に腰掛けたまま、成り行きを見ていたが、乙川教諭が原告を殴打したのは一瞬の出来事で、これを制止することはできなかった。

(三)  その直後、原告は、乙川教諭に対し、「覚えておけよ。」と言い、「こんな殴るような先生は、部屋から出て行ってくれ。」と言ったため、同教諭は、後の指導を丙田教諭に任せて、応接室を出た。その後、丙田教諭は、興奮状態にあった原告をカウンセラー室に移し、学年主任の山田教諭と共に様子を見ていたが、原告から頭や首が痛いといった身体的異常の訴えはなく、病院に行きたいなどといった申出はなかった。そして、しばらくして、原告は、落ち着いた様子になり、丙田教諭から昼食のパンを買い与えられたが、同教諭が席を離れた間に居なくなり、六時限目の終了前に教室に戻って来た。

ところで、原告は、右認定に反し、本件事件当日、乙川教諭が、「自分はカッとなると何をするか分からない。」などと威嚇する言葉を発した後、いきなり原告に飛び掛かり、「お前、教師をなめとるのか。」と叫んで、原告の後頭部を手拳で数回連打し、その上、背後から原告を羽交い締めにして右腕で首を絞め、さらにその姿勢のまま原告の体を宙吊りにして椅子に突き落とすなどの暴行を加えた旨主張し、当法廷において、その旨供述するとともに、甲五の1、2(陳述書)及び甲一五(日誌)を提出する。

しかしながら、後記認定のとおり、本件事件の翌日(平成元年五月三〇日)の町立中島中央病院における診察結果では、原告の症状は、左後頭部の軽い腫瘤と発赤、頸椎圧痛(腫脹なし)、若干の運動制限程度であり、その後の多数の医療機関における検査でも、脳や頸髄等に器質的な損傷は全く認められていないこと、原告が平成二年五月に松山簡易裁判所に提出した調停申立書では、乙川教諭からいきなり首に腕を巻きつけられ、宙吊りにされて床面に身体を落下させられた上、数回にわたり後頭部等を手拳で殴打されたとなっており、当法廷での供述とは内容が異なっていること(原告は、右申立書の記載は知らない旨供述するが、両親から弁護士が聴き取ったにせよ、原告が述べていない事実が記載されたとは考えられない。)、また、本件訴状や原告作成の上申書(甲五の1)では、本件事件当日、激しい頭痛と吐き気に襲われ、自力で杉原医院に行った旨記載されており、前記調停申立書では、同病院の待合ソファーに横たわるなどしたと具体的に記載しているところ、当法廷では、杉原医院には行っていない旨供述して、右記載は虚偽の事実であることを認めていること(平成七年一〇月一一日付調書33丁裏)、原告の供述では、乙川教諭が初めから暴行を予告する言動をとり、説諭中に、いきなり殴りかかってきたことになるが、同教諭が日頃から中島分校の生徒に暴力を振るうような生徒指導をしていた形跡はなく、原告自身も同教諭がそれまで暴力を振るったことはなかったと供述していること(同年七月一九日付調書16丁裏)などに照らすと、本件事件についての原告の主張や供述には、誇張や虚偽の部分が含まれているとみざるを得ず、乙川教諭及び丙田教諭の各証言と対比して、にわかに信用することができないというほかない。

なお、原告の母親の甲野花子は、乙川教諭が本件事件の翌々日に原告方に謝罪に来た際、原告を叩いた手が真っ赤になっていたのが三日経ってようやく薄らいできたと言って、その手を見せた旨証言するが、幾分誇張された表現であるとの印象を拭えず、同教諭の証言と対比して、にわかに信用することができない。

3  本件事件後の原告の症状と受診経過等

(一)  原告は、本件事件当日夕方、自宅に帰って、両親に教師から暴行を受けたと話し、後頭部の痛みを訴えて、夜半、母親から患部を冷やしてもらう手当を受けた。そして、翌日の平成元年五月三〇日に、町立中島中央病院で受診し、教師に握り拳で後頭部を殴られ両手で首を絞められたと述べ、朝から首の運動痛と後頭部痛があり、吐き気もあると訴えた。診察結果では、原告の左後頭部に軽い腫瘤と発赤、頸椎の圧痛(腫脹なし)及び若干の運動制限が認められ、頭部打撲による頸部捻挫の疑いありと診断されて、湿布薬が投与された。翌三一日にも、同病院で受診し、疼痛の増悪と右腕の知覚異常に加え頸椎運動の際の痛みを訴えたが、反射正常で、神経学的には異常所見なし、エックス線検査上もほぼ異常なしと診断された。

(二)  次いで、原告は、平成元年六月三日から同月二七日まで県立中央病院で受診した。同病院では、原告は、後頭部を殴打された一週間目ころから、右上下肢や左下肢にしびれ感が出現し、筋力低下や痛覚低下、全身の関節痛があるなどと訴えた(なお、初診時に、原告は、六年前に自転車で転倒して、同様の症状が発現した旨、担当医師に述べている。)。そして、同月一三日から入院し、頭部CT検査、エックス線検査、MRI検査(頭部、頸椎、胸椎)等が行われたが、異常所見は認められなかった。なお、原告の入院中、担当医師や看護婦により、「一回毎に訴えが違う。」、「訴えと動作に食い違いが多く、医師が右手を握るよう指示してもできないのに、病室では右手で着衣したり、食事をしている。偽薬(蒸留水)を筋肉注射しても効果あり。」などと記録されている(乙二)。原告は、同月一九日、同病院精神科で、「頸部損傷と自覚症状との間に因果関係があるとは考え難く、演技的症候がある。」旨診断され、同月二六日、原告の母親の希望により愛媛大学附属病院で受診し、同病院整形外科の柴田医師からの回答でも、「身体的所見は器質的な損傷によるものではなく、精神的な手法が大切である。」とされている。同月二七日、原告の希望により退院となったが、診療録の退院時処方及び退院後の治療方針欄には、「社会的に学校へ登校すること、本人が病気と思わないように根気よく説明すること」と記載されている。

(三)  次いで、原告は、平成元年六月二八日と七月七日に鷹の子病院で受診し、県立中央病院退院後も両上下肢のしびれ、吐き気、全身痛などがある旨訴えたが、頭部、頸部のCT検査、エックス線検査、MRI検査をした結果、いずれも異常は認められなかった。

(四)  原告は、平成元年七月四日から同月二七日まで愛媛大学附属病院で受診した。当初、同病院脳外科で、頸部筋群の異常緊張、項(うなじ)部に圧痛著明と診断されたが、同月一一日、精神科に院内紹介され、金澤彰医師の診察を受けた。金澤医師は、原告への性格テストなどを実施し、それまでの受診経過や検査結果をも勘案して、転換性ヒステリーと診断した上、同科において診療する方針を持った。そして、同医師は、同月一三日には、原告に対し、ずばり言ってノイローゼという病気で、心の奥に学校の先生に対する怒りがある旨説明し、精神科での治療を行う方針を告げたが、原告は身体的症状の全部がノイローゼですかと反駁して納得しなかった。同月二七日、原告の母親が同伴し、金澤医師は同様の説明をしたが、到底精神的なものではなく、脊髄か身体が悪いと言って聞き入れようとせず、翌月一〇日の診療予約日には、原告は何の連絡もなく受診に来なかった。

(五)  原告は、平成元年七月二四日、同年九月一八日に三好神経内科で受診し、抑うつ神経症等と診断され、精神安定剤等の投与を受けた。

(六)  さらに、原告は、県立中央病院を退院した平成元年六月二七日から同年一一月四日まで森貞整形外科で受診した。同病院において、原告は、前同様の症状を訴え、頸髄不全損傷、両上下肢機能障碍、自律神経失調症と診断され、同年七月一五日から一〇月二四日まで入院(途中一週間退院)している。しかし、同病院では、平衡機能検査で左右のバランスが異常とされている以外に、エックス線検査等で異常所見がみられたとの記録はなく、主として原告の愁訴に基づいて右診断をしたものとみられる。そして、同病院の森貞近見医師は、同年八月一日、学校提出用として、「頸髄不全損傷、両上肢機能障碍により入院加療を要する。」と記載された診断書を作成、交付している。

なお、原告は、同年九月二四日、森貞医師の紹介により、南松山病院で受診し、MRI検査(脊髄、椎間板、椎骨)を受けたが、特記すべき異常は認められず、うつ状態として精神科受診を勧めるとされている。

(七)  原告は、次いで、平成元年一一月一一日と一八日に松山市民病院で受診した。同病院において、原告は、首や手足の関節の痛み等を訴え、脳外科から整形外科に院内紹介されているが、諸検査を実施するも異常はなく、関節筋群の局在病変や脊椎損傷も認められないとして、受傷原因が自覚症状に影響している可能性が高く、自律神経失調症と診断されている。

(八)  さらに、原告は、平成二年五月九日に貞本病院で受診し、CT検査、エックス線検査、脳波検査等が行われたが、いずれも異常は認められなかった。同病院の診察時に、原告は、担当医師に対し、学校の先生を許す気持ちにはなれない、愛媛大学附属病院の金澤医師の診察は信じたくない旨述べている。

そして、同年五月二八日には、竹安整形外科で受診し、三か月前から下背部痛がある旨訴え、腰椎エックス線検査の結果、腰部椎間板障害と診断され、三日分の投薬を受けた。

(九)  原告は、次いで、平成二年六月六日から一一日まで中国労災病院で受診した。同病院において、原告は、前年五月に後頭部を殴打され、さらに腕で頸部を吊り上げられて以来、頸部、背部痛があり、右上肢と左下肢に軽度の運動障害がある旨訴えたが、整形外科及び脳神経外科のエックス線検査、MRI検査等では異常が認められず、外傷性障害を思わせる所見はなく、心因的要因が大きいと診断された。そして、原告は、神経科に院内紹介され、神経症レベルの病気であるとの説明を受けたが、しばらく自宅で様子を見たいと申し出て、受診を終えた。なお、同病院神経科の中川医師は、整形外科の担当医師に対し、原告の症状の訴えは神経学的に説明がつかず、賠償神経症の印象を受ける旨回答している。

4  調停の申立と損害賠償金の支払経過等

(一)  乙川教諭と丙田教諭は、本件事件の翌々日(平成元年五月三一日)、原告方に謝罪に赴き、その後も、病院に度々見舞いに行くなどした。また、中島分校の他の教諭らも、原告の出席日数の不足を補うため、特別補講や訪問指導を行うなどした。なお、原告は、平成二年三月に中島分校を卒業している。

(二)  原告の両親は、平成元年八月ころ、森貞整形外科に原告が入院中、酒井精治郎弁護士に委任して、乙川教諭、丙田教諭及び中島分校校長宛に、同分校での暴行事件により原告が頸髄不全損傷等の傷害を負ったとして治療費等の支払を求める内容証明郵便を送った。これに対し、乙川教諭は、本件事件により原告が入院までしていることに不審もあったが、原告の気持ちを和らげ、早く登校して欲しいとの一念から、同年一〇月ころ、原告に対し五〇万円を支払った。

(三)  しかし、原告が中島分校を卒業した平成二年四月ころ、再び、原告から乙川教諭に対し、治療費や慰謝料を求める催告書が送られ、同年五月には、松山簡易裁判所に同教諭を相手とする損害賠償金の支払を求める調停が申し立てられた。なお、右調停に先立ち、原告は、森貞整形外科の森貞医師から、平成二年三月三一日付の後遺障害診断書(自賠責保険用のもの)を交付されているが、同診断書には、頸髄不全損傷、両上下肢機能障碍により同日症状固定と記載されている。

(四)  乙川教諭は、右調停の申立を受け、申立書に記載された事実経過等に多々言い分はあったものの、これ以上紛争を長期化させたくない意向の下に、訴訟代理人である弁護士とも相談の上、二〇〇万円を支払うこととし、平成二年一〇月四日、調停が成立した。なお、右調停では、乙川教諭が本件損害賠償として既払の他に後遺障害分(平成二年三月三一日森貞整形外科作成の診断書表示の後遺障害)を含め金二〇〇万円を平成二年一〇月末日限り支払い、本件事件(後遺症を含む)に関しては、他に当事者双方の間には何らの債権債務のないことが確認されている。乙川教諭は、右調停に基づき、同年一〇月末日ころ、原告に対し、二〇〇万円を支払った。

5  調停成立後の原告の受診経過等

(一)  原告は、平成三年七月三〇日と同年八月三〇日に国立療養所愛媛病院で受診し、三年前の事故で頸部痛があると訴えたが、エックス線検査で頸椎に異常所見は認められず、心因性反応と診断された。

(二)  原告は、中島分校を卒業後、職に就いていなかったが、平成四年五月ころ、原告の母親の以来により、丙田教諭の紹介で、食品会社であるナカフードサービス株式会社に就職し、約半年間にわたり勤務した。この間、原告は、同社社員寮で単身生活し、配達等の仕事に従事する傍ら、自動車教習所に通い、同年一〇月ころ、普通乗用自動車の運転免許を取得している。なお、右運転免許には、眼鏡着用等以外に特別な条件は付いていない。

(三)  原告は、平成五年九月一〇日から同年一〇月二五日まで井関整形外科病院で受診し、左根性坐骨神経痛、左膝関節炎、急性腰痛症と診断されたが、同年九月一〇日には治癒と診断され、腰、膝ともエックス線検査で異常はなかった。なお、同病院の診療録には、原告が蜜柑の手伝いをしているとの記載がある。

(四)  原告は、平成五年九月二四日に松山リハビリテーション病院で受診し、腰痛症及び膝関節痛と診断されているが、腰部に根症状なし、左膝関節異常なしとされている。

(五)  原告は、平成五年一〇月一二日から平成六年五月三〇日まで道後温泉病院で受診した。原告は、初診時に、平成元年に後頭部、頸部を打撲され、左半身にしびれがあり、時々脱力がある旨訴え、頸部症候群と診断された(なお、看護記録によると、原告は、頭部打撲後、意識不明瞭となり、事故状況を覚えていないと述べている。)。同病院でのエックス線検査及びMRI検査の結果に異常は認められなかったが、深部腱反射検査において下肢が亢進し二頭筋反射が低下していることが認められ、平成五年一一月一日よりリハビリ目的にて入院となった。原告は、同病院に入院中、吐き気や呼吸困難等を訴え、主治医の上田俊一医師は、原告の症状が心因的なものであることを疑い、同年一一月一一日、松山日赤病院心療内科の今井司郎医師に紹介し、同月二四日、同医師から、「病名 転換ヒステリー 生来、内向的、無口で友達づき合いもなく、社会性に欠ける点あり。頭部MRI、脳波的にも全く異常なし。」などと記載された回答を得ている。原告は、松山日赤病院心療内科での治療と並行して神経ブロック等の治療を受けたが、症状は快癒せず、自宅療養の希望を申し出て、平成六年一月一〇日に退院となった。

なお、平成六年一月八日、同病院の上田医師は、原告に対し、「障害名が左上下肢機能障害、原因となった疾病・外傷名が頸部症候群、障害固定又は障害確定(推定)は同日、総合所見は、左上下肢の自動運動低下、特に上肢の著しい障害あり。握力四キログラム、肢体不自由の所見は、左上下肢の異常感覚と弛緩性麻痺、起因部位は脊髄、身体障害者福祉法別表の三級相当に該当する。」と記載された身体障害者診断書・意見書(甲二)を作成、交付し、これに基づき、原告は、同月一四日、愛媛県により、身体障害者等級表による等級三級、障害名が肢体不自由三級(事故による左上肢機能の著しい障害)及び肢体不自由七級(事故による左下肢機能の軽度の障害)と認定された。

但し、同病院の診療録(乙一五)によると、平成六年一月八日、上田医師から原告と母親に対し、「整形外科的、内科的には考え得る、かつ、できる範囲の治療を行ってみたがいずれも無効だった。どうやら我々の守備範囲を超えてしまっているようです。もう治らない病気かどうかは今の段階、我々の判断だけからでは下せない。もしかしたら他の科(麻酔科や心療内科……)であれば改善させることができるかもしれない。」との病状説明が行われており、原告の母親からは、「とにかく少しでも高い級の身体障害者に認定して貰えるよう診断書を書いて欲しい。主人は心臓病であり、家計も余裕がないので少しでも治療費を安くしたい。精神的疾患が基礎にありそうであるということは、全く納得できない。」旨の申し出がなされている。

また、同病院の原告の退院時の看護要約として、「訪室毎に訴えが異なり、他覚的に訴える症状認めず、精神的に不安定で、依存心強く、気力なし、自己の問題として考えられない。」などと記載がなされている。

(六)  原告は、平成五年一一月八日から平成六年二月二八日まで松山日赤病院で受診した。同病院での受診は、道後温泉病院の上田医師からの紹介によるものであるが、原告は、当初、脳外科で、MRI検査、脳波検査、CT検査等を受けたが異常所見はなく、平成五年一一月一一日より心療内科の今井司郎医師の診察を受けた。今井医師は、脳波検査や多面人格テスト等の検査を実施し、同月一七日、原告を転換ヒステリーの疑いと診断し(脳のMRI検査等を実施した後の同年一二月九日には確定診断)、道後温泉病院での治療と並行して通院精神療法が行われた。しかし、平成六年二月二八日、原告は、身体障害者の等級を三級から二級にして欲しいと申し出たが、同病院から断られ、同日を最後に来院しなくなって、治療は中断された。

(七)  なお、原告は、以上の受診と並行して、複数の治療院等で鍼灸、マッサージ、整体といった治療を受けている。

三  責任原因について

以上の認定事実によれば、本件事件については、被告愛媛県の被用者である乙川教諭が職務中に生徒である原告に暴行を加えたものであり、生徒一人一人の人格を尊重しながら教育指導に従事すべき立場にある教師が生徒に対し暴力を振るうことは許されない違法行為であって、被告愛媛県は、原告に対し、本件事件と相当因果関係がある損害につき、国家賠償法一条に基づいて賠償すべき責任がある。なお、原告は、本件事件について丙田教諭にも、乙川教諭の暴行を制止しなかった点に過失責任がある旨主張するが、前記のとおり、乙川教諭が原告を殴打したのは一瞬の出来事であって、丙田教諭がこれを制止することはできなかったと認められるから、原告の右主張は採用できない。

四  本件事件と原告の損害との相当因果関係について

1  原告は、乙川教諭による暴行によって、頸髄損傷の傷害を負い、その結果、上下肢の異常感覚、弛緩性麻痺、疼痛、倦怠感、頭痛、吐き気、眩暈等の症状が出現して、別紙入・通院経過表に記載のとおり治療を受けたが、平成六年一月八日に身体障害者福祉法別表の等級三級(自賠責保険後遺障害別等級表の六級)に相当する後遺障害を残して症状固定した旨主張する。

そこで、前記認定事実に基づき検討するに、まず、平成元年五月二九日に中島分校で発生した本件事件は、原告が主張するように、乙川教諭が原告にいきなり飛び掛かって後頭部を手拳で数回連打した上、右腕で首を締め、さらに原告の身体を宙吊りにして付き落としたという激しいものとは認め難く、同教諭が説諭中、背中を向けて無視する態度をとり続けた原告を、無理矢理自分の方に振り向かせようとして揉み合いとなり、腹立たしさが加わって、原告の後頭部を一回殴打したものと認められることは、前判示のとおりである。

そして、原告は、本件事故後、長期間にわたり、多数の医療機関で受診し、入・退院を繰り返しているが、本件事故発生から比較的早い時期に実施された平成元年六月の県立中央病院入院中における頭部CT検査、エックス線検査、MRI検査(頭部、頸椎、胸椎)において異常が認められておらず、その後の多数の医療機関においても同様の所見が得られていることからすれば、外傷性の器質的損傷が生じたとは、にわかに認め難いというほかない。

確かに、原告は、森貞整形外科の森貞医師から、平成元年八月一日に「頸髄不全損傷、両上肢機能障碍により入院加療を要する。」と記載された学校提出用の診断書を、平成二年三月三一日に同じ内容の同日症状固定と記載された後遺障害診断書(自賠責保険用のもの)を、それぞれ交付されているが、同病院では、平衡機能検査で左右のバランスが異常とされている以外に、エックス線検査等で異常所見が認められたとの記録はなく、主として原告の愁訴に基づいて右診断をしたものとみられること、そして、平成元年九月二四日に森貞医師の紹介により受診した南松山病院では、MRI検査(脊髄、椎間板、椎骨)の結果、特記すべき異常は認められず、うつ状態として精神科受診を勧めるとされていることなどからすれば、右各診断書の作成、交付をもって、原告に頸髄不全等の器質的損傷があったと認めるには足りないというべきである。

また、原告は、道後温泉病院の上田医師から、平成六年一月八日に「障害名が左上下肢機能障害、原因となった疾病・外傷名が頸部症候群、障害固定又は障害確定(推定)は同日、総合所見は、左上下肢の自動運動低下、特に上肢の著しい障害あり。握力四キログラム、肢体不自由の所見は、左上下肢の異常感覚と弛緩性麻痺、起因部位は脊髄、身体障害者福祉法別表の三級相当に該当する。」旨記載された身体障害者診断書・意見書(甲二)を交付され、これを基に、同月一四日に愛媛県から身体障害者等級表による等級三級、障害名が肢体不自由三級(事故による左上肢機能の著しい障害)及び肢体不自由七級(事故による左下肢機能の軽度の障害)と認定されているが、右診断書についても、主として原告の愁訴を基に作成されたことが窺え(乙二三によれば、原告の握力検査については、各医療機関毎に極めて不自然なデータが得られている。)、同病院の看護記録では、訪室毎に訴えが異なるなどと記載されていること、上田医師も、最後には整形外科の守備範囲を超えると診断しており、心因的要因を疑って松山日赤病院の心療内科に原告を紹介し、同病院の今井医師から転換ヒステリーと確定診断した旨の回答を得ていること、右診断書の作成に当たっては、原告の母親から少しでも高い等級の身体障害に認定して貰えるものを作成して欲しいと依頼されていることなどに照らすと、右診断書の作成、交付をもって、原告に頸部症候群等の器質的損傷があったと認めるには足りず、これに基づく身体障害者認定についても、同様というべきである。

むしろ、本件事件後における原告の受診経過をみると、比較的早い時期の県立中央病院の受診において、愁訴内容の不自然な変遷や、症状の訴えと動作の食い違いが指摘され、頸部損傷と自覚症状との因果関係が疑われて、演技的症候があるとされた上、ヒステリー様で精神身体医学療法が必要と診断されていること、その後、愛媛大学附属病院では、心因反応と診断された上、精神科の金澤医師から転換ヒステリーと確定診断され、南松山病院、松山市民病院、中国労災病院、国立療養所愛媛病院でも、精神科の受診を勧められたり、心因的要因が大きいなどと診断されていること、さらに、道後温泉病院の上田医師も原告の症状に心因的要因を疑っており、同医師の紹介により原告を診察した松山日赤病院心療内科の今井医師は、愛媛大学附属病院の金澤医師と同様に、原告の症状を転換ヒステリーと確定診断していることが認められ、これらの事実に照らせば、原告の訴える両上下肢の機能障害や吐き気、眩暈等の症状は、器質的損傷によるものではなく、専ら心因的な要因に基づくものと認定するのが相当である。

なお、道後温泉病院の上田医師は、他覚的所見がなくても外傷性の頸髄損傷が生じていることはあり得る旨証言するが、右証言は、あくまでも一般論の域を出ず(なお、同医師は、原告に実施した神経ブロックが当たっているのに、効果がなかったことを認めている。)、右認定を左右するものではない。

2  ところで、前記認定のとおり、本件事件後に生じた原告の症状が心因的要因に基づくものであるとしても、本件事件が原告の心因反応を生じさせた一因となっていることは、原告の診療に当たった愛媛大学附属病院の金澤医師及び松山日赤病院の今井医師の各証言からも明らかというべきである。そして、本件事件は、高校教育の現場において、生徒から信頼、尊敬されるべき指導者である教師が、生徒に対して暴行を加えた事件であり、プライバシーの保護とはいえ、密室状態となった応接室において、生徒指導と担任の二名の教師の同席する中で暴行を受けた原告にとって、相当の恐怖心と憤りの感情を抱いたことは容易に推測されるところであり、当時高校三年生という自我の確立期にあって、多分に自尊心を傷つけられ、著しく精神的苦痛を被ったものと認められる。

しかしながら、翻って検討するに、本件事件後に出現した前記認定にかかる原告の症状は、余りに長期に及んでいるといわざるを得ず、金澤医師の証言によれば、同医師が愛媛大学附属病院で診察した平成元年七月ころの時点において、原告が自分の症状を心因的なものであることを承認し、精神的療法を受けていれば、半年か一年以内の間に、かなりの改善が期待されたのに、原告側において、これを承認せず、受診を一方的に中断したことが認められ(同証人調書16丁表、31丁裏参照)、今井医師の証言によっても、原告の症状は、典型的な転換ヒステリーであり、ここまで症状が長期化したのは、もはや本件事件が原因としてはすり替わり、定職に就かず無為の生活を送っていることの周囲への説明(言い訳)として、身体障害者になることが苦しみであると同時に安定の場所(無意識のうちに病気に逃げ込んだ状態)になっているものと認められる(同証人調書16丁表、26丁表参照)。

そうすると、本件事件後に出現した長期にわたる原告の症状については、その全部につき、本件事件との因果関係を認めるのは相当でないといわなければならず、原告が受けた著しい精神的苦痛を考慮すると、前記金澤医師の証言に基づき本件事件から一年程度とするのは酷であるとしても、原告は、前記認定のとおり、本件事故から三年を経過した平成四年五月末ころには、食品会社に就職して約半年にわたり稼働できており、しかも、その後に運転免許まで取得していることからすれば、遅くとも、右時期以降の原告の症状と本件事件との間には相当因果関係は認め難いと認定するのが相当である。

3 そして、本件事件から平成四年五月末ころまでの三年間に生じた原告の症状や受診についても、心因的要因に基づくものであることは前記認定のとおりであるところ、心因的要因が加わって症状を増大させ、治療を長引かせた場合には、損害の公平な分担を図る損害賠償法の理念から、その損害の全部を加害者に賠償させるのは相当でなく、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して損害賠償の額を定めるのが相当である(最高裁判所昭和六三年四月二一日判決、民集四二巻四号二四三頁参照)。

これを本件についてみるに、金澤医師の証言によれば、原告は自分の評価についての要求水準が高く、その性格が精神的葛藤(ストレス)を高めていることが窺え、原告側で同医師による精神的療法を中断したため、症状改善の機会を失し、その結果、症状の増悪と固定化を招いたと認められることに加え、前記認定にかかる本件事件の態様、原告の県立中央病院等における受診経過などを総合すると、本件事件から平成四年五月末ころまでに発生した原告の損害のうち、その四割を被告愛媛県に負担させるのが相当である。

なお、原告は、本件が教師による生徒への暴行に基づき発生した損害賠償請求事件であることなどから、心因的要素を理由に過失相殺の法理を類推適用すべきではない旨主張するが、教師による生徒への暴力が許されないことは前判示のとおりであるが、原告側において早期の段階での精神的療法を中断したため症状改善の機会を失したことは否めず、また、乙川教諭らにおいて謝罪や見舞に度々赴き、中島分校でも補講等に努めたことは、前記認定のとおりであって、原告の右主張は採用することができない。

五  損害額について

1  治療費及び入通院費

本件事件と相当因果関係が認められる平成四年五月末までの原告の治療費及び入通院費については、原告主張の別紙入・通院経過表に記載のとおり認められるとしても、次のとおりである。

(一)  治療費 五三万五一八四円

(1) 医療費 四九万四六四四円

(2) 漢方薬代 四万〇五四〇円

(二)  入通院費用

六八万一〇四〇円

(1) 入院雑費 一三万二〇〇〇円

(一二〇〇円×一一〇日)

(2) 入通院交通費等

四三万三〇四〇円

(3) 付添費用 一一万六〇〇〇円

(四〇〇〇円×二九日)

2  休業損害二三五万五四九一円

原告は、前記上田医師の後遺障害診断書や身体障害者の等級認定に基づき、原告の後遺障害による逸失利益の損害を主張するが、右診断書等によって原告に頸髄損傷等の器質障害があると認め難いことは、前判示のとおりである。そして、前記認定のとおり、原告の症状は心因的なものであって、平成四年五月には就職できており、それ以降の症状と本件事件との相当因果関係は認め難いから、原告主張の後遺障害に基づく逸失利益の請求は理由がない。しかし、原告は、本件事件により著しい精神的苦痛を被り、これによる心因的反応に基づき平成四年五月まで各種医療機関において受診を余儀なくされたと認められるところ、中島分校を卒業後の平成二年四月から平成四年五月までの二年二か月間の受診(いずれも通院)によって、得べかりし収入の半額の休業損害を被ったと認めるのが相当である。そして、賃金センサス平成二年第一巻第一表、産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者一八歳から一九歳までの平均年収額二一七万四三〇〇円を基礎として、右休業損害額を算定すると、次式のとおり、二三五万五四九一円となる。

217万4300円÷12か月×26か月×0.5=235万5491円

3  慰謝料 二〇〇万円

前記認定にかかる本件事件の態様、原告の症状と受診経過等を勘案すると、本件事件及びその後の平成四年五月までの受診(通院)等により原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料としては、二〇〇万円が相当である。

4  小計

1ないし3の損害金の合計は、五五七万一七一五円となる。

5  過失相殺の類推適用

前記認定のとおり、右損害金のうち、その四割を被告愛媛県に負担させるのが相当であるから、六割を控除すると、被告県が原告に対して賠償すべき金額は二二二万八六八六円となる。

6  損害の填補

前認定のとおり、原告は、乙川教諭から本件事件による損害賠償金として合計金二五〇万円を受領しているから、右損害賠償金は全額既に填補されていることになる。

六  結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の主張について判断するまでもなく、理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤武彦 裁判官熱田康明 裁判官藤野美子)

別紙<省略>

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